焼津港っておもしろい。

2021/03/28

ストーリー


 つい先日、仕事の打ち合わせで焼津に行ったんです。焼津って、行ったことがあるようなないような、なんて思いながら。

 そういえば。さかなセンターには行ったことがあったんだ。前にそのことを焼津出身の知人に話したところ、あそこは観光客向けだからと、すっかり素人扱いされた。港の近くには、もっと安くてもっと美味しい魚屋さんが、たくさんあるんだとか。

 さらに、その知人に教えてもらったのは、焼津の人の気質について。昔々、八丁櫓という普通の船よりも速い船があって、その船は焼津の漁師さんだけが使うのを許されていたそうだ。それも、あの徳川家康から直々に。その理由は、駿府城に住む家康さんが、焼津のカツオが大好きだったからなんだって。いつも、どこか可笑しな話で楽しませてくれる知人の言うことなので、いったいどこまでほんとなのかはよく分からないんだけど、でも、焼津の漁師さんはそれを誇りにしているんだってことは、よく伝わってきた。

 それから、気性が荒いけどほんとは話好きで優しいんだ、なんてことも言っていた。「気性が荒い」というのと「話好き」というのが、僕の中ではイマイチしっくりこなくて、そこに心地のよい違和感を感じたのを覚えている。

 その時は、「なるほど、いつか行ってみたいなあ」くらいに思っていたんだけど、ついにチャンスが訪れた。やったー!

 そうなるともう。僕の頭はカツオのお刺身でいっぱいで。予定を聞かれても、「港でカツオのお刺身が食べたい!」と答えてしまうほど。



 さてさて、ついに焼津の港でカツオのお刺身を食べる日がやってきました。移動と打ち合わせがオシテ、気が気じゃなかったんです。2時には閉まっちゃうって聞いていたし。それでも、なんとかギリギリ。1時半ちょっと前くらいにお店に到着。

 お店のおすすめは、船の形の器にお刺身を盛り合わせた定食だって。おもしろそう。カツオのお刺身ものっているってきいたから、迷わずそれに決めた。早く出てこないかな。

 待ってる間に見回してみると。店内には、僕達以外に、少し年配の夫婦、上司と部下の二人組み、一人で来た出張サラリーマンさんがいる。遅めの時間に来たからか、思ったよりも空いている。

 そうこうしていると、出張サラリーマンさんが席を立つ。お会計を済ませようとレジの前に移動。でも、お店の人は気がついていないのか、なかなか出てこない。少しの間。そして、奥の調理場から男の人の声が。

「おい、なにやってんだ。お会計だ!」

 あれ。随分と荒っぽい。こういうの、苦手……。

 出張サラリーマンさんがお店を出る。すぐに、お店の人がその席を片付けに来る。さっき、注文を取ってくれた女性店員さんだ。奥からおっかない声は聞こえてきたけど、こちらの女性店員さんは、とっても優しく丁寧に接してくれた。

 その女性店員さんが食器をまとめていると、奥からもう一人、腰がくの字に曲がったおばあさんも出てきた。一緒に片付けるんだろう、なんて思いながら、なんとなく様子を眺める僕。

 でも、そのとき。腰がくの字のおばあさんが、食器を下げようと手をかけたとき、優しく丁寧なはずの女性店員さんが、急に怖い声を出した。

「一個づつ持ってけって、いつも言ってるだろ!」

 なにも、そんな荒っぽい言い方をしなくても。おっかないじゃない……。

 腰がくの字のおばあさんが、食器を少しずつ下げ始める。優しく丁寧なはずの女性店員さんは、なにやらシュッシュしながら、ああそっか、消毒だ。消毒をシュッシュしながらテーブルを拭き始めた。

  でもすぐに。「すいませーん」と、声がかかる。上司と部下の二人組だ。女性店員さんは、「はーい」と愛想よく返事をして、そっちに向かう。

 腰がくの字のおばあさんが、残りの食器を下げに戻ってきた。一個づつっていわれたから、少しづつ下げている。次に持っていくのが、最後の一個だ。そこで、女性店員さんが接客中だってことに気づく。腰がくの字のおばあさんは、気を利かせたんだと思う。テーブルをシュッシュしながら、拭き始めた。

 少しすると。女性店員さんが、注文を取り終えて、伝票を片手に戻ってくる。腰がくの字のおばあさんが気を利かせてくれたから、ゆっくりと注文が取れてよかったね。僕がそんなことを思う間もなく、またまた、荒っぽい声が。

「余計なことをするなって、いつも言ってるだろ!」

 なんで?? 腰がくの字のおばあさんは、気を利かせてくれたんだよ。それに、余計な気を利かせてなにか失敗したとかって、そんなわけでもない。なんで、そんなに怒るの?

 僕は、腰がくの字のおばあさんが気の毒になり、どんな思いでいるんだろうと、顔を見てみた。
 なんだか、とっても悲しそうな顔をしている。それはそうだよ。こんなにどなられてばかりじゃ、誰だって嫌になる。
 だけど、腰がくの字のおばあさんの表情には、「なんだと」って反抗する感情は見られない。これがもう長年のことで、それで諦めちゃったような表情。まるで、なんの感情もないかのような目。なんだか、かわいそうだ。僕は、同情した。同情したからって、なにもしてあげられないんだけど。



 すこし嫌な気分で待ってると、僕の舟盛り定食がやってきた。僕の分は、優しいはずだった女性店員さんが、一緒に行った打ち合わせ相手さんの分は、奥の調理場の男性が運んできた。こわいなあ。料理が並べられる間も、やっぱり僕は、すこし嫌な気持ちでいた。

 ところが。

「こちらが、カツオです。わさびと生姜と両方つけてあります。小皿も二つ、つけてありますから、混ざらないように両方使って、お好みで召し上がってください」

 あれれ。とっても、優しくて丁寧に接してくれてる。もちろん、僕はうれしいけれど、腰がくの字のおばあさんにも、少しは優しく接してあげてよ。

 とはいえ。美味しい物が目の前に並べられて、僕の気持ちはあっという間にお刺身達の方へ。うんうん、おいしい。とっても美味しいお刺身定食で大満足。これが、知人の言っていた、港の近くで食べられる最高に美味しいお刺身達か。納得。

 食べ終わってお会計。ありがたいことに、打ち合わせ相手さんがご馳走してくれるというので、甘えることに。

 それにしても、あんなに優しくて丁寧な接客を僕達にしてくれるのなら、いっしょに働くおばあさんにも、もうちょっと優しくしてあげられるんじゃないかなあ。知人は、「気性は荒いけど優しくて」なんて言っていたけれど、これじゃ、ただただ荒いだけだよ。



 お会計が済むのを待っていると、小上がりにちょこんと腰掛けた、さっきのおばあさんが目に入る。いつもいつも、こんない荒い言葉で怒られて、このおばあさんはどんな気持ちでいるんだろう。僕は、おばあさんに話しかけてみた。

「とっても美味しかったです」
「ありがとうございます。それは、よかった」と、おばあさん。それからさらに「遠くから来なさった?」と続いた。
「そんなに遠くって程でもないんです。でも、さかなセンターには行ったことはあったけど、地元の料理屋さんに入ったのは初めてだったんで」
「そうですか。さかなセンターにも食べるところはあるでしょうに」
「ありますね。でも、港のお店で食べてみたかったんです」って、僕は言おうとしたんだけれど、僕が言い終わるよりも早く、おばあさんが語り出す。
「でもね、ここは港だから、おかしなものは絶対に出さないよ」
「そうなんですね」って、これも最後まで言う間はない。
「うちは、焼津の魚しか出さないから。よその店とは違うんだよ」
「なるほど」って、もちろんこれも、最後まで発せられない。
「だからね、東京からもお客さんが来るし、名古屋からも来る」
「へえ」これも同様。
「山梨からだって来るんだよ」
「え? 山梨からですか? 遠いところから」今度は、なんとかここまで言えた。
「当たり前じゃない。あんなところ、山ばっかりで魚なんてないんだから」

 山ばっかりで魚なんてないなんて……そんな言い方、山梨の人が聞いたら気を悪くしそうだ。でも、その言葉に嫌味はない。なるほど、これが知人の言っていた「気性は荒いけど、ほんとは優しくて話好き」ってことか。

 気がつくと、気風よく話すおばあさんの目は、さっきまでとは全く違う。キリッとした、いかにも威勢のいい、迫力があってかっこよくって、イキイキとした目だ。

 それからしばらく、腰がくの字のおばあさんの焼津自慢が続く。焼津は日本一の港で、日本一美味しい魚が食べられる場所なんだ。このおばあさん、いやいや、この姉御が言うんだから、絶対に間違いはない。

 腰がくの字のおばあさんは、かわいそうなおばあさんなんかじゃない。そんな風に考えてしまった僕は、なんて無知で無礼で失礼で、一方的な考え方しかできないお馬鹿さんなんだ! とっても反省しました。それから、もっと話を聞いていたいなとも。

 残念ながらお会計が済んでしまい、姉御との話はここまでに。今度はもっと早めに来て、もっとゆっくりお話ができるといいなあ。



Photograph & Story : 

 僕達には冒険が必要で、

 僕達には想い込みが必要で、

 僕達にはストーリが必要だ。

-- 加賀美 ケント



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